MIHO’s STYLE

ボンモマン・オーナーブログ

数年前の夏の日。私は、涙を流していた。
ドラマの中の少女は、若くしてこの世を去った。

それから半年後、父が入院。
原因不明のまま半月が過ぎ、
医者から告げられた病名は、あの少女と同じだった。

母は泣き崩れ、そんな母を見て弟は怒った。

最悪の出来事が今、私の目の前でおこっている。
10万人に1人。インターネットにはそう書いてあったっけ。
でも、あの時と同じようには泣けやしない。
ただ、夢であって欲しいと願うだけ。

楽しいはずの毎日が父の病気で一変。
こわくて。悲しくて。仕方なかった。

主治医から治療についての説明。
「治療法が合わなければ・・・」
はっきりとは覚えていないけれど、 それは死の宣告。

父も一緒に聞いている。
その隣で悲しい顔をする母に少し腹が立った。

ふと、先生の顔を見た・・・

キビシイ言葉とは正反対のとても穏やかな表情。
気のせいかもしれないけれど、
「大丈夫」と、言ってくれてるように感じた。

すると、さっきまでの不安がスーと消え、
そして「大丈夫。元気になる」って、私ひとり確信してた。

あの状況で、
なぜそんな風に考える事が出来たのかは分からない。
不思議だけれども、私は信じることにした。

たぶん家族や親戚の中でただ1人だったと思うけど・・・

それから1年、家に父のいない生活が始まった。
キッチンを掃除していると、1冊のノートが出てきた。
中には、たくさんのレシピが書いてある。

父の字だ・・・。

「もう、この味も食べれないのかな。」すこし弱気になる。
元気な頃の父の姿が目に浮かぶ。
泣かないと決めたのに・・・

私は、会社にも友だちにも、父の病気を隠していた。
心は不安でいっぱいだったけれど、
変わらず、いつもと同じようにふるまった。

誰にも話さなかった理由・・
それは、治って帰ってくる。と信じていたかったから。。

父の病気を知れば、皆が優しい言葉をかけてくれただろう。
残業も減ったかもしれない。

けれど、心配や同情はされたくなかった。
「かわいそうだけど、あきらめなさい」と言われてるようだから。
私が弱いこともあってね、その言葉に耐える自信がなかったから・・・

仕事も先輩の厳しい言葉も、今までと変わりなくやってくる。
精神的にも体力的にも参っていた私。
くじけそうになる。

友だちとの会話・・・

少しだけ口数の減った私だけども、いつもと変わらない光景。

悩みがなさそうな彼女たちを見て、羨ましく思う。。
「人生、ツマラナイ」
「疲れた・・」
「無理」
「死にそう・・」

次々と言葉が突き刺さる。
彼女たちの何気ない言葉に、心の中で反発してた。

「死ぬなんて、簡単に言わないでよ」って思いながらハッとした。

父が病気になる前、私もそんな言葉を連発してたっけ。
別に深い意味もなく・・・。

世の中には、心に不安をかかえながら、
それでも笑顔でふるまっている人がたくさんいる。

私の何気ない言葉で、そんな人たちを傷つけていたかもしれない。
初めて気がついた。。

全ての人が「私は今、不幸です」って
看板を背負って歩いてるわけではないのだと。
そして、自分ひとりが悲劇のヒロインになっていたことを反省した。

どん底を経験して・・

心から感謝できるようになった。
得たものは計り知れない。
あれから幾度の逆境があったけれど、私はちゃんと生きている。

頑張ってくれた父にありがとう。
父の強さと勇気、凄いなと思う。

あれから、2度目の入院。
「危険な状態です」って何回聞いたか分からない。
けど、あの人なら絶対大丈夫。

『人間て凄いパワーを持っている。どんな奇跡だって起こせるから』
いつもそばに置いていた言葉

でも最近忘れてきてばかり・・・だから、日記に書いてみた。

May 24, 2005  『どん底のあとで・・・』

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実家のPC内のデーターを整理してたら
不要ファイルの中から、14年前に書いたブログ記事が出てきた。

あの頃の私、こんな事を考えてたんだ・・・と
読みながら、なぜか涙が止まらなくなった。

今、別に悲しい訳じゃないのにね・・・笑

しばらくシゴトの手を止め、いろんな事を考えてみた。

この世に産まれて42年・・・
1つずつ丁寧に思い返していくと、
本当に色んな思い出がいっぱいある。

幸せや喜び。

そして、それと同じくらい失敗や挫折、悲しみを味わった。

そんな状況からどうやって立ち直ったのだろう?
それは、もう忘れてしまった。

不思議なんだけどね
その時の本当の気持ち、辛さや悲しみなんて
今じゃ、上手く表現できないし、ちゃんと思い出す事もできない。

だって、それは過去の私だけが知っていることだから。

ただ、覚えているのは、
その時学んだ大切なことだけなんだよね。

そして、今まで経験したことは、
ちゃんと今の私の力になっているということ。

結局ね、思うんだけど、

その時は、ダメだ・・・と思った事でも、
最善を尽くし、精一杯頑張っていれば・・・

未来になった時、悪いと思っていた事も全て、
良い事に変わるんだよなと・・・。

だから、人生を長いスパンで見れば、
最終的には、全てOKで。
どんな人生でも生きていれば幸せ。
と言うことなんだって。きっと。

ただし、一生懸命生きていればね^^

あの日、余命半年と宣告された人生も、
奇跡の連続で、10年も生きることが出来、

8年前、父は、とっても、安らかに、、
どことなく満足気な表情で、この世を去りました。

きっとね、父は、この世の中に未練も何もなく、
「ああ、いい人生だったな」と感じながら、、
次の世界に行ったんじゃないかな。と私は思ってます。

だって、本当に毎日、幸せそうに、精一杯生きていたから。

生前、父がよく言っていた。
朝、目が覚めると、「今日も生きて目覚めたことに感謝する」と。

そして、その日一日を大切に、
悔いのないように生きるんだ。とね。

私もそんな風に生きれてるかな?
全てに感謝を忘れてないかな?

過去にふれて、
忘れかけていた大切なことを思い出しました。

私、頑張らなきゃ・・・と。

2019年、新しい年に。

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MIHO TSUDA

日常やシゴトへのオモイあれこれ綴ってますので
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